この世界を解放する言葉遣い


私は敬語という話し方の存在がどちらかというと苦手です。


全然敬っていなくても、
敬語は”使わなければいけない”ですし、


そんな神対応をしているにも関わらず、
こちらがマジで心から敬っているときの本心は、


敬語を”使ってしまったばっかり”に、
気持ちが半減して伝わっている気がします。

詰まるところ、
敬語には感情が乗りにくい。のだと思います。(知らんけど)

この世界を解放する言葉遣い

誰に教えてもらったわけでもないが、
私は両親の事を割と尊敬している。

だが、覚えている限りでは、
両親に敬語を使ったことは一度もない。

きっと、言葉ではないところに
”敬い”は存在する。


そんな言葉遣いよりも、
地方の方言についてもっともっと学んでおくべきだった。

と、心からそう思う日があった。



26歳になったばかりの秋だった。


私は当時付き合っていた台湾人の彼と東北のとある山に登山に行った。

山頂に着き、避難所のような小屋でおにぎりを食べていると、
隣に座っていたご老人3人グループが私たちに話しかけてきた。



にこやかに、私たちに何か問いかけている。


だが、その一切が全く分からない。


どんなに耳を凝らしても、
一言一句聞き取れないのだ。


恐らく東北の方言なのだろう。
まるでヨーロッパ圏の言葉のようだった。

勿論方言をバカにしたいのではない。

私は岡山の北部の山奥、ド田舎出身だ。
かなり強めの方言を解き放つ。


だからこそ分かる。

その土地に耳を根付かせ、
言葉のニュアンスを生活という肌感覚で積み重ねていかなければ方言の解読は極めて難しい。



そしてもう一つ実感して言えることがある。

方言を話している側は、何が方言なのかが全く分かっていないということだ。

そのうえ、方言だという認識もない。

あるとすれば共通言語という認識だろう。

…これは困った。

方言の授業なんてやってないぞ。
英語より難しい気もしてきた。

同じ日本人でありながら分からない。
これほど悔いの残る会話はない。

かたやこちらのグループには日本語を少しだけ理解した外国人が一人。

通訳しようがない。



彼は私に言う。

あのお婆ちゃん、なんて言うてる?



分からないまま、
分かりやすく伝える。


口パクをあてずっぽうするしかない。

まるでガキ使で見た伝言ゲームのようだった。


テキトウにやんわりとその場を凌いでいくが、
おじいとおばあが私たちにずっと何かを訴えている事だけは分かる。


…もしかしたら、ココって入っちゃいけないところだったのかもしれない。
不安がよぎる。

私たちは早めに小屋を出る準備を始めた。


すると、
お婆ちゃんたちはリュックを開き、
買い物袋からスーパーのお惣菜を取り出し、
私に差し出した。

パックには山型のドデカいなり寿司が2個、
容器の型に沿ってパンッパンに入っていた。


一瞬、オカリナが入っているのかと思った。

お婆ちゃんは推定4合のオカリナを私の膝の上に置き、
また解読不可能な呪文を唱えて笑っていた。



初めてすぎるアイテムに困惑した。

彼は言う。

お婆ちゃん、ありがとう!

これ何?
めちゃ重い!
分からないけど帰ったら食べるね!


え?もう帰るよ!

私は台湾から来たよ。

今日はこの辺泊まるよ。

わっははははははははは!



まるで外国に来たかのような気分になっている私をよそに、
超打ち解けている外国から来た彼。



きっと、
濃すぎる方言と
微かな日本語は

一周回って相性がいいのかもしれない。



なんとも不思議で平和な世界だろう。
最高の景色だった。

ご老人たちにお礼をして、私たちは下山した。

生ぬるいオカリナは、
とても優しい味がした。



方言。

尊敬語も謙譲語も全く通用しない、唯一の言葉遣いなのではないかと思う。



そしてそれは国境をも軽々と越えていく。

この世界を解放する言葉遣い。

oki




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|散歩途するように綴る生活の断片記|30代は自由|暮らしと旅|

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